サバイバーズギルトという心理について
御嶽山噴火による犠牲者が刻々と増えているようです。
亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
今回の噴火で亡くなられた方々は、ほとんど噴石による被害だとか。
朝のワイドショーで噴石が飛び交う映像を見ましたが、とても恐ろしいものでした。
難を逃れた方々の中にはあと一歩逃げるのが遅かったら…というギリギリの状況の方もいらっしゃったかと思います。
こういった災害や戦災の後、生き残った方々はサバイバーズギルトという状態に陥る事があります。
生き残った者たちの罪の意識です。
「なぜ自分だけ生き残ってしまったのか」
「自分より生き残るべき人がいた」
「今は生き残ったがこれからもっと悪い事が自分の身には起こるのではないか」
という罪悪感と恐怖により苦しむのです。
この状態はよくPTSDと混同されますが、サバイバーズギルトとPTSDは同じものではありません。
PTSDは災害等の記憶が断続的に蘇り人を苦しめるものですが、サバイバーズギルトの場合は災害そのものではなく自分が生きているという事実に苦しめられるのです。
私たちが当たり前に享受している生というものを疑ってかからねばならないということです。
同じ災害の中で自分は生き延び、他の人は死んだ。
もしかしたら、この幸福は手放しに喜んでいいものなのかもしれません。
救出された被災者が満面の笑みでテレビの取材に応じても、何もおかしくはないのかもしれません。
けれど、おそらく普通の人にはそれができません。
手放しで生を喜ぶことができなくなるのです。
3.11後、被災地で幽霊の目撃情報が増えたという記事を以前目にしました。
これもきっと、単純に幽霊が増えた、というだけではなく、生き残った人々の罪の意識に依るものなのではないかと思うのです。
亡くなった人のこと、そして生き残った自分のことを思うと、怨霊が自分を呪ってもおかしくない。
こう感じてしまう人もいるのではないでしょうか。
そしてその気持ちが幽霊という形になって現れる。
この幽霊が本物か、妄想かという問題はさておいて(私は本物であってほしいと思いますが)、「幽霊が見える」という事実の方が重要だと感じます。
実際に幽霊(のようなもの)を見た人がいるということは、被災者の心の傷を理解し癒していくための重要な事実だと思うのです。
決してオカルトだと馬鹿にしてよいものではありません。
今回の御嶽山噴火に関しても、きちんと対応しなければ御嶽山が恐ろしい山になってしまう気がします。
しかしとにかく今はいまだに行方不明となっている方々が無事見つかり、犠牲者の方々の供養もきちんと行われるよう祈るばかりです。